
思う。もう曖昧模糊としたまんまですし、そうやってみることだけが自主事業ということじゃなくて、見るのも、自分がやるのも、それを後ろから押すのもワンセット、必ずどこかにそれがリンクしてつながっていく、それがどっかへ出ていくんだというのがとりあえず30年ぐらい先かなと思う。30年先に出れば大したもんですけれども、出なくて当たり前かなという気はしています。そのころは、今の町長ももういないでしょうし、僕も退職していますので次の世代の方がきっと続けていってくれれば楽しいことも一つはあるのかなと思います。 話が前後しちゃいますけれども、やはりご利用いただく方の意向も大事なんですが、それを生で取り込むことが果たしていいのかなというのをずっと、まだいまだにうちの内部でも話をしていまして、リクエスト通りにやれれば、これは本当に楽ですね。ホールとしての主体性というか、ホールを建てた側、設置した側、運営している側のIDみたいのがなしでいけるとまで言っちゃうと、ちょっと語弊があるのかな。そうするとかなり楽だと思うんです。お客様も満足してくれると思うんですが、果たしてそれが一番大事なことかどうかは非常に疑問のところでありまして、隠れているような意見をうまく引き出せるチャンスがないかなと今も考えています。 何せ土壌のないところにハードをつくりまして、全くそういうものは見たことも聞いたこともないという状態の人たちしかいないところにハードをつくりました。そこを動かすというよりも、使っていただく、理解していただく、自分のものにしていただくためにどうするのかというのも本来のホール運営の入り口にかかるまでで2年かかっているわけです。現実的にはまだスタートに立っていないわけですよ。本来のうちが目指しているホールという動き方に関して言うんだったら、まだスタートラインにも立っていない。だから、何とか早いところスタートラインに立って楽しくホール運営をしたいと思うんですけれども、なかなか担当の私も勉強不足ですし、使っていただく利用者の方も、勉強不足といったら怒られますけれどもそういう状態です。 ですから、町の中に人が育っていく、それは何も舞台芸術だけじゃないと思うんですが、そのための場所としてうちのホールが動いていける可能性がどれぐらいあるのかが今一番楽しみなところです。本当に30年ぐらい先、40年先に住民の自主制作のものがあふれているというようなのが私どもの本当に今の夢です。そのころに町が残っていればという話もありますけれども、少しでもそういう方向に向けて、今のうちから応援できることがあればなというふうにしてホールはとりあえず動かしております。
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